WELCOME TO JAPAN!
2017年11月18日 日本公開を祝して、新宿K’s cinemaにて舞台挨拶を行いました!
登壇したのは、監督のミヒャ・レビンスキー氏、プロデューサーのHC・フォーゲル氏。
進行役は、本作の翻訳者であり配給元カルチュアルライフの代表・二階堂峻です。
二階堂(以下二):ようこそ、日本にいらっしゃいました。まずはレビンスキー監督、今回は日本初公開ということで、日本に来てみて、また日本で上映されることについて、どういうお気持ちでしょうか。
レビンスキー監督(以下監):もちろん、とてもうれしいです。そして、ここにいることもなんだか信じられずうれしいんですが、それよりも皆さんがどう思ったかが一番気になります。感想だったり、もしくは批判だったりを知りたいです。
二:なるほど。本日は皆さんこの作品をご覧になっているので、よくご存じかと思いますが、この作品は最初から最後まで気まずくて、嫌なシーンが結構多くあります。この作品を撮る上でどういうところに問題意識やテーマのようなものがあったのでしょうか。
監:すごく気になったんです。もしもこんなことが起こったらと。ある日突然、重大な事が起こって、自分が被害者でも加害者でもないのに、責任を負うような立場に追い込まれてしまったらどうするか。それはとても気まずいことですよね。そのことについて考えてみました。
二:なるほど。あと皆さんが気になっているところとしては、結末ですよね。結末の解釈について、すでにご覧になったマスコミの方はいろいろな議論をされています。おそらく議論されるように意図して撮っているとは思うんですが、そこはやはり意図して撮られたんでしょうか。
監:もちろん、意図的にやりました。物語が完結してしまうと、物語が映画館で終わってしまう。そうしたくなかった。物語を外に持っていきたかったんです。
二:監督が特に気に入っているシーンはございますか。
監:一番好きなのはコンサートのシーンです。「これは私たちが望んでいた人生ではない」と妻が言ったら、旦那が「でも僕は君のことを愛しているんだ」と言い、それに妻が「分かってる」と答えたところです。
二:あのシーンは心に刺さるところだと思うんですけども、ああいうシーンは監督の経験に基づく何かエピソードがあるんですか。
監:もちろん。結婚してますからね。(笑)
二:やっぱりそうなんですね。今回は監督だけでなく、脚本もすべて書かれているかと思うんですが、撮影においては最初から最後まで、脚本通りに進行しましたか。撮影中に大きく変更したところはありますか。
監:脚本というよりも、最初はコメディとして撮っていたんです。もちろんこれは真面目なテーマではあるんですけど、初めはコメディの要素がありました。でもまだ若い女優さんたちと実際に撮影をしていくにつれて、コメディじゃないかもしれないと思って、コメディタッチが強すぎるところは撮らないことに決めるなど、ちょっとトーンが変わってきました。
二:監督の今までのフィルモグラフィーを見てみると、ラブロマンスなど雰囲気が違う作品を撮られていますけど、今回雰囲気がガラッと変わった重いテーマのものを撮っていますね。どういう心境の変化であるとか、実はこういう作品が撮りたいのかというところをお伺いしたいです。
監:こういうのが撮りたかったというよりは、新しいことをやりたかったという思いがあります。もちろん次も違うものをやろうと思っているけども、後で見てみると必ずどこかで繋がっているものがある。ずっと自分の中でテーマがあるんです。けど、次はまた違うものをやりたいなと思っています。
二:プロデューサーのHC・フォーゲルさんにお伺いします。今回この作品の総プロデューサーをされていますね。この脚本を読んで、資金を集め、映画を撮ろうと思われたのだと思いますが、この映画のどういうところに魅力を感じて決断をされましたか。
プロデューサー(以下プ):レビンスキー監督のことは前から知っていましたし、過去にも一緒に仕事をしたことがあります。ある夏休みに「脚本を読みなさい」と言われましたが、「休みだからどうしようかな」と思っていました。脚本というのは技術的な記述も多いので、小説のようにスルスルと読めるものではありません。しかし読んでみると、その中にのめり込んでしまったんです。主人公は非常に難しいキャラクターである一方で共感してしまう部分もある。「ああ、そうか」と感情移入してしまうところがたくさんあったので、「これはやりたい、ミヒャのこの作品を世の中に送り出したい」と思いました。
二:フォーゲルさんは、この作品が日本で公開されることをどうお考えですか。
プ:もちろん、うれしいです。すごく光栄だし、こうして東京に呼んでもらえて、日本に初めて来られました。すごくうれしい気持ちでいっぱいです。
監:ここで1つ言ってもいいですか。カルチュアルライフの二階堂さん、本当にありがとうございます。こうして呼んでいただけたことも本当に光栄だし、信じられない気持ちでいっぱいです。すごく真摯に仕事をしてくれて、こうして日本で上映にこぎつけたことは本当に素晴らしいことだと思います。こうして日本で皆さんにお会いして、写真を撮ってもらえて、注目してもらって…。ここで逆に質問なんですけど、皆さんの写真を撮ってもいいでしょうか。
二:もちろん、大丈夫ですよね。それではせっかくなので写真を撮ってもらいましょう。
監:僕の写真撮るの? 話は続けてもらっていいですよ。勝手に撮ってますから。
ここで、ご来場の方から監督へのQ&Aコーナーがスタート!
観客①:日記の内容が気になるんですけど、これは聞いちゃいけない質問でしょうか。
監:何が書いてあるのか、私も分からないです。でも、何が起こったかがとても具体的に書かれているはずです。
観客②:おもしろい2時間を過ごせました。ありがとうございました。主人公を演じた俳優さんなんですが、彼の小市民っぷりがとても面白かったです。監督は彼に対して、どの程度演技指導を行ったのですか。アドリブはどの程度まで許したのですか。
監:本当に素晴らしい役者さんなので、かなり自由にやってもらいました。というよりも、始まる前にこの主人公についてや彼が今まで演じてきた役などについて綿密に話し合いをしました。彼はそれまではすごく痩せていたのに、この役のために10キロ太ったりなど、役作りもしてきてくれました。ですが始まってからは特に何も話していないんです。
プ:1つ補足をすると、彼が起用されることは決まっていたんです。ドイツでもとても有名な役者ですから。彼が別件で監督に電話をしてきたときに、この「まともな男」の話をしたら、「とても興味があるから脚本を送ってほしい」と言われた。ところが脚本はまだできていませんでした。だから2.3週間で急いで書き上げて、送ったそうです。つまり、書いている段階で、彼が演じるトーマスを想定しながら書いていたということになります。
観客③:タイトルが原題と邦題で意味合いが違うと聞いたが、監督とプロデューサーはそのことについて、どう思われますか。
監:「まともな男(A Decent Man)」というタイトルは、国際的に使っているタイトルなんですが、「何も起こっていない(Nichts Passiert)」というのは、ドイツ語でないと上手くニュアンスが伝わらない部分があります。Nichts Passiertというのは2つ意味があって、「何も起こっていない」という意味と、何かが起こったときに、「大丈夫。大丈夫」という意味で使うことがあります。例えば物が落ちて壊れてしまったときに、壊れているにもかかわらず「大丈夫。大丈夫」という意味で、”Nichts Passiert”と言ったりする。この両面的な意味はドイツ語でしか伝わらないと思うので、そのようにしました。
二:まだまだお伺いしたいことはいっぱいありますが、お時間になりましたので、この辺りで終了とさせていただきます。このあとは写真撮影になります。それでは皆さん最後にもう一度お二人に拍手をお願い致します。
皆様の温かい拍手の中、イベントは終了。
ご来場、ありがとうございました!
監督・脚本:ミヒャ・レビンスキー 主演:デーヴィト・シュトリーゾフ(『ヒトラーの贋札』2007年、『厨房で逢いましょう』2006年)
2015年/スイス/原題:Nichts Passiert/ドイツ語/カラー/シネスコ/5.1ch/92分/日本語字幕:二階堂峻/配給:カルチュアルライフ/後援:スイス大使館